フランソワ・ブーシェ

2019-10-23

享楽のパリを描いたロココ絵画の代表

フランソワ・ブーシェ(1703-1770年)はロココの最盛期に活躍したフランスの画家。晩年はルイ15世とポンパドゥール夫人の寵愛を受け、宮廷画家を務めた。

官能的でありながら気品ある女性像は、印象派の巨匠オーギュスト・ルノワールを始めとする後世の画家たちに多大な影響を与えた。

タピスリーの下絵や舞台装飾、陶磁器のデザインなど幅広く活動し、60年余りの生涯で描いた絵画は1000点を超え、素描にいたっては10000点にのぼると言われている。

代表的な作品

もっと詳しく!

1703年、パリに生まれる。ブーシェに絵画の基礎を教えたのは、刺繍デザインの図案を手がけていた父親だった。

1720年頃、本格的に修行を積むため、歴史画家フランソワ・ルモワーヌのもとへ。ルモワーヌは熱心な教師ではなかったとされるが、1723年、20歳になったブーシェはアカデミーのローマ賞に輝き、才能を発揮し始める。

この頃、ロココの代表画家として名高いアントワーヌ・ヴァトーの原画に基づく版画集のエッチング制作に携わった。

ローマに4年ほど滞在している間、現地の美術を研究したが、当時の多くの画家と異なり、古典〜ルネサンス期よりもバロック期の作品に受けた影響が大きいと考えられる。

帰国後の1734年、アカデミーの会員となる。レセプション・ピースとして提出した《リナルドとアルミダ》は、恋に溺れる十字軍の騎士を描いた作品。

ブーシェのキャリアにおける最重要人物は、ルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人である。彼女に気に入られたブーシェは、肖像画を描き、絵画教師を務め、美術コレクションのコンサルタント的役割も担った。60代で晴れてルイ15世の首席宮廷画家となり、アカデミー院長の座も得た。

揺るぎない地位を手に入れたかのようだが、新古典主義の台頭によりロココの時代は終わりに近づいており、ブーシェの作品の評価も下がっていった。ブーシェは1770年に亡くなるが、その30年ほど後には、競売にかけられた大作に値がつかないほどだったという。