ジャン・オノレ・フラゴナール

2019-10-23

時代に翻弄されたロココ最後の画家

ジャン・オノレ・フラゴナール(1732~1806年)は、アントワーヌ・ヴァトー、フランソワ・ブーシェに続く、ロココ絵画の3大巨匠のひとりである。

あからさまに性的な題材を扱いながらも、極めて高い画力で周囲に実力を認められていた。しかし、ロココの流行が過ぎ去るとともに忘れ去られてしまう。

まさに、華やかな優雅さの中に儚さをはらむロココ美術を体現したような人生であった。

代表的な作品

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1732年、コート・ダジュール(フランス)に生まれる。幼い頃から絵が上手かったフラゴナールは、6歳でジャン・シメオン・シャルダンに弟子入り。16歳からはフランソワ・ブーシェに師事する。

20歳の時、王立絵画彫刻アカデミーのコンクールに「黄金の子牛に生贄にささげるヤラベウム」を出品。ローマ賞に輝き、ローマへの留学費用を獲得する。若くして才能を認められたフラゴナールは、留学から戻ったあとは宮廷画家として歴史画などの大作を描くことを期待されていた。

4年後、パリに帰国。1765年にサロンに出品した歴史画「カロリエを救う大司祭コレリュス」はルイ15世に買い取られた。フラゴナールはルーヴル宮殿に住めるようになり、エリートコースまっしぐらと思われた。

しかししだいに、財政状況の厳しくなった国家よりも、貴族や有力者のために制作をするように。アカデミーの期待とは裏腹に、威厳ある歴史画ではなく、官能的なロココ式の風俗画を描くようになる。

代表作《ぶらんこ》は、ブランコ遊びをする男女を描いたロココの典型的な作品。挑発的な視線を送りながら靴を脱ぎ捨てる女と、そのスカートの中をのぞいてニヤつく男…といういかにも軽薄な場面をあっけらかんと描いてみせた。ふざけた絵にも見えるが、絶妙な構図や細部描写など、純粋に絵画として非常にクオリティの高い作品である。

上流階級の裕福な人々をパトロンとしたことが最終的には凶と出て、フラゴナールは時代遅れの画家と見なされるようになってしまう。すでに新古典主義が台頭していたのである。生活に窮した庶民たちはブルジョワたちの贅沢な暮らしに批判的になり、1789年、とうとうフランス革命が起こる。

ロココの時代は過ぎ去り、フラゴナールに画家としての仕事は入ってこなくなる。しばらくはルーヴル美術館の収蔵品管理を担当していたが、やがてその職も失い、極貧のなか息を引き取った。