エルンスト・ゴンブリッチ

2019-10-15

全世界800万部超の大ベストセラー「美術の物語」が生まれたわけ

エルンスト・ゴンブリッチ(1909年3月30日 – 2001年11月3日)は、 世界で最も有名な美術史家。

美術の正史として有名な「美術の物語」の著者であり、父は、版画のコレクター、 母は、マーラーとフロイトの友人と言われている。

代表的な作品

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エルンスト・ゴンブリッチは、オーストリア系ユダヤ人の美術史家。

父は、版画のコレクターで、生前多くの版画を集め没後、エルンスト・ゴンブリッチが その版画を譲り受けたいわれている。
中には、とても希少な版画も多数あったと言われているが、エルンスト・ゴンブリッチは、 あまり興味がなかった。

売上は800万部を突破、23の言語に翻訳された「美術の物語」を書きあげたにも関わらず、エルンスト・ゴンブリッチは、美術品のコレクターというわけではなく、 実際、彼には「所有欲」がなく「偉大な作品は、美術館やギャラリーで見れてば満足」 と生前語っているほどだ。

また、エルンスト・ゴンブリッチは、クラシック音楽の愛好家でもあり、 音楽は、彼をはじめ彼の家族に多大なる影響を与えたと言っている。

そして、長年にわたってロンドン大学とヴァールブルグ研究所で教えました。

第二次世界大戦中は、BBCのドイツ語放送を担当し、1945年、ヒトラー死亡を1番にチャーチルに伝えた人物でもある。

全世界800万部超の大ベストセラー、絶賛の美術書である「美術の物語」は、洞窟壁画から現代美術まで美術の流れが驚くほどわかりやすく説明してあり、入門書にして決定版。多数のカラー図版と平易な文章であらゆる年代から高評価を得て、 20世紀後半の視覚文化の礎となった。

しかし、「美術の物語」が生まれたわけは、様々な出来事の偶然のつながりが生んだものだと、 エルンスト・ゴンブリッチは、生前話している。

実は、ウィーン在住の頃、子供向けの世界史の執筆依頼として申し出があり、当初、エルンスト・ゴンブリッチは「子供向けの美術史など存在しない」という理由で、 はじめはその依頼を断ったのです。

しかし、出版社はあきらめず執筆依頼し続けた結果、最終的に「子供向けにはしない」 という約束で了承したのでした。

「美術の物語」を執筆中、戦争をはじめ様々な理由で中断を余儀なくされながらも、 エルンスト・ゴンブリッチは、「率直な書き方」に忠実になることに努め書きあげました。

できるだけ謎めいた書き方を避け、議論が必要な事象については、謎をそのまま残しておいたのです。なぜなら、謎は謎だからです。

さらに「美術の物語」の「物語」と表記したのは、単に起きた出来事を時系列に並べているような年代記にせず、イメージ形成の展開を取り入れ、人の手が作り出した物語として完成させたかったのです。

すると物語には一貫性ができ、それを読んだ読者はその物語に筋道の通った出来事の連なりを見出せたです。

また、「若い読者のための世界史」では、歴史の大きな流れをもとに、人名や年号を知ってる程度では分からない事が多く書かれていて(例えば、ローマ帝国がキリスト教を迫害したのは、 キリスト教の「愛」と帝国の「正義」がぶつかった為)などと、決して教科書には書かれていない部分に惹かれる読者も多い。

諸説の一つを使って、違った見地を得られるのは貴重だと思う。 歴史初心者にも学校で一通り世界史をやった人には間違いなくわかりやすいであろう。

ギリシャ・ローマ時代がザックリだけど詳しい。古代ギリシャ人の精神がヨーロッパ文明の母体であることも理解できる。そして、モダンアートは、世界を表現する際の2つの対立する問題や手法の争いの物語だとエルンスト・ゴンブリッチは語っている。

簡潔にいうと「知性に基づく表現」と「観ることに基づく表現」との争い。

エルンスト・ゴンブリッチはエジプト美術を通じて、目に見えている物質を超えて、知るものを見ていたと説明していた。

「美術の物語」の行きつく先は印象派といわれ、印象派を生み出したのは無垢な目と呼ばれた原理です。そして、19世紀末、目に見える世界をそのまま描写する原理が勝利したのです。しかし、既に知っていることと、知覚していることを完全に分けることはできないのです。エルンスト・ゴンブリッチの書物は実に味わい深いものです。

コラム

Posted by GOBOU