レオナルド・ダ・ヴィンチ

2019-10-23

世界一の美女を描いた万能の天才

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519年)は、歴史上最も有名な画家といっても過言ではないが、絵画のみならず自然科学全般に深い興味を持っていた。絵画を始めとする彫刻や建築、舞台芸術などさまざまな形式の美術に留まらず、天文学、数学、軍事技術といった幅広いジャンルで鋭い考察を行い、現代から見ても驚くような発明アイディアを残している

徹底したリアリストで、視覚を再現するための科学的な研究にも熱心だった。死体解剖にも立ち会って素描を行い、筋肉の動きや骨の仕組みなど、解剖学的にも人体を探求した。その成果は、遠近法やスフマート(ぼかし技法)といった見事な形で絵画に生かされている。

知的好奇心の幅広さゆえ、未完のまま残された作品も多い。完成作は20点ほどとされており、中にはいまだ真贋が問われているものもある。謎めいた作品にはさまざまな暗号が込められているとされ、ミステリー小説『ダ・ヴィンチ・コード』に代表されるように、今なお多くのインスピレーションを与え続けている。

代表的な作品

ルーヴル美術館所蔵の《モナ・リザ》は、輪郭線を使わないスフマートが見事に生かされた肖像画。卓越した技術や神秘的な微笑みにより「世界一有名な美女」として知られる。

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1452年、フィレンツェ近郊の村アンキアーノで私生児として生まれる。13歳でヴェロッキオの工房に弟子入りし、絵画の基礎を身につける。ヴェロッキオはサンドロ・ボッティチェリの師でもあり、ダ・ヴィンチとボッティチェリは兄弟弟子に当たる。

30歳の時、ミラノを統治していたスフォルツァ家の宮廷画家兼技術者となり、その後17年にわたってミラノを活動の拠点とする。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の壁画《最後の晩餐》も、スフォルツァ家のルドヴィーコ公の依頼によるものである。

1500年、ミラノが戦地となったためフィレンツェに戻り、《モナ・リザ》や《聖アンナと聖母子》などを制作。しばらくしてミラノに戻るが、1513年にはローマに移った。ミランジェロ・ブオナローティやラファエロ・サンティなど、ともにルネサンスの巨匠に数えられる若手画家が台頭し、仕事が減っていたからだと言われている。

60歳を超えたダ・ヴィンチは、フランス王フランソワ1世のもとへ移住し、その3年後に息を引き取った。ダ・ヴィンチが遺した「Codex(手稿)」と呼ばれるノートによって、数々のアイディアや研究内容を知ることができる。