ラファエロ・サンティ

2019-10-23

盛期ルネサンスを代表する画家ラファエロの短い生涯で残した魅了し続ける作品とは

人物の概要

ラファエロ・サンティ(1483年4月6日~1520年4月6日)は、盛期ルネサンスを代表するイタリアの画家、建築家。

ラファエロの作品は、明確さと分かりやすい構成、そして雄大な人間性を主張する新プラトン主義を作品に昇華したとして高く評価されている。

レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロと並ぶ、盛期ルネサンスの3大巨匠の1人で、様々な芸術家の技術などをインプットして、自分なりの表現として組み込む術に長けていたといわれている。

サン・ビエトロ大聖堂の主任建築家として活躍するなど建築家としても成功を収めた人物だ。

代表的な作品

もっと詳しく!

ラファエロは、中央イタリアの都市国家ウルビーノ公国に生まれた。父親は、ウルビーノ公フェデリーコ3世の宮廷画家ジョバンニ・サンティ。ジョバンニは、絵の才能と文学的才能を持っていたことで知られている。

母親のマージアは、ラファエロが8歳の時に死去し、その後ジョバンニも1494年に死去している。11歳で孤児となった彼の後見人となったのは、叔父のバルトロメオ。しかし、バルトロメオと彼の妻の間に抗争が起き、結局は継母と住むことになる。

ラファエロは幼少期から芸術の才能を見せ、画家だった父親の仕事の手助けをするほどだった。10代で描いたといわれる自画像からもその天才的な芸術性が伺える。

その後、ウンブリア派の画家ピエトロ・ペルジーノの工房に弟子として入り、17歳の若さで親方となり独立。独立して初めての作品が「バロンチの祭壇画」だが、現在は断片と下絵が残るのみとなっている。

ラファエロは、非常に高い才能を持ちながら、容姿も抜群、優しい性格であったそう。「美しい女性像を描くためには、実際に多くの美しい女性を観る事が必要だ」と言葉を残している。

そんなラファエロは、女性から人気があり浮気性であったことでも知られており、生涯独身を貫いたようだ。

多くの恋人の中でも特に彼のお気に入りだった女性とされる肖像画が残っている。それが「ラ・フォルナリーナ」。この絵は、女性の腕輪には「ウラビーノのラファエロ」と彫られており、指輪にはラファエロとの結婚を想起されるものだとされている。

その後、ラファエロは病に倒れ、37歳の若さでこの世を去ってしまう。その原因も愛人マルガリータ・ルティとの過度な情事が原因で発熱したためといわれている。死去したラファエロの遺体は、遺言通りにローマのパンテオンに埋葬された。

ラファエロは、すべてに器用で、しかも社交的。経営の才能もあり、揉め事を調停することもうまかったという。また、弟子が50人という巨大工房を運営していたのだ。

彼の死後、主流となった芸術様式はマニエリスム様式とバロック様式。ラファエロの芸術とは正反対で、ドイツ人美術史家ワルター・フリートレンダーは、「ラファエロの死と共に古典主義たる盛期ルネサンスは衰退し始めた」としている。

ラファエロが若くして死んでしまうことがなければ、芸術の世界も大きく変わっていたのかもしれない。それくらい芸術家たちに及ぼした影響は計り知れないということは間違いない。

20世紀の著名な美術評論家バーナード・ベレンソンは、ラファエロをルネサンスで最も有名で最も愛された画家であるとしている。ラファエロの早すぎる死。もっと彼の作品を見たかったと惜しむ人も多いだろう。