エゴン・シーレ

2019-10-23

生涯、自分自身と向き合い続けたエゴン・シーレ!絵に見られる彼の天才的な表現性に圧巻

人物の概要

エゴン・シーレ(1890年6月12日~1918年10月31日)は、オーストリアの画家で、世紀末のウィーンに生まれた奇才である。

自画像や裸婦を象徴的でアレゴリーな作風が彼の絵の特徴。強烈な個性溢れる画風は見る者に衝撃を与えるほどだ。

どの流派にも分類できない、独自の世界を切り開いた人物といわれている。

代表的な作品

もっと詳しく!

エゴン・シーレは、ウィーン近郊にあるトゥルン・アン・デア・ドナウに生まれる。父親アドルフ・シーレは帝国鉄道の鉄道員で、後に駅長となっている。母親マリア・ソウクップ・シーレはチェコ系オーストリア人であった。

幼少期に初等教育を受ける為、クロスターノイブルク市へ移住。

シーレは学生時代から、授業中はいつも絵を描いていたという。成績は良くなかったが、美術の教師は彼の才能を認め、造形美術アカデミーへの進学に力を貸し、16歳の時に入学している。

しかし、シーレにとっては失望の場でしかなかったようだ。アカデミーに価値を感じなかったシーレは、グスタフ・クリムトに弟子入りを志願した。この時、シーレが17歳でクリムトは45歳だった。

クリムトがシーレの才能を認め、積極的に取り立てたといわれている。そして、彼の作品発表の場として芸術展へ参加させるなど、積極的にシーレの名を世に広めていったのである。

シーレは常に良き友人や後継者に恵まれ、仕事も多く請け負っており、評価も高かった。彼は神経質で粗い線により肉体的な特徴がオーバーに表現され、精神状態の不安定さ、表現主義におけるデリケートで弱いところが明確に表れていたようだ。

1914年、ウィーンに戻る。自分のアトリエを持ち、エーディト・ハルムスと結婚。オーストリア福音主義教会アウクスブルク信仰告白派のルター派シュタット教会で結婚式を挙げている。シーレはハルムス家の妹エーディトと結婚したが、姉のアデーレとも親しく性的関係もあったといわれている。

シーレの絵には複雑な思いが反映されている。等身大の鏡を用いて、自画像を良く描いていたという。自分の心の奥底にあるものと向き合っていたのだろうか。100を超える自画像を描くことで葛藤し続けていたのかもしれない。

1918年、シーレと妻エーディトはスペイン風邪にかかり、エーディトの死後、3日後に28歳の若さで死亡した。

シーレのイメージは、1980年公開の映画「二十代で早世した天才画家」によって広く認知された。また、映画以外にも楽曲、ダンス、エッセイ、小説など、シーレを題材とした芸術作品が制作されている。

シーレの生涯について2016年にドイツ語版が公開、日本でも2017年1月28日に「エゴン・シーレ死と乙女」の邦題で上映された。

現在、シーレの多くの作品はレオポルド国立美術館に保管している。彼の生涯を自分自身と闘い見つめながら描いている作品は、他の画家とはまた違った、ミステリアスで個性的な価値観を見入ることができるのではないだろうか。